【対談】門上武司×橋下徹 人間の生活を豊かにする大事な要素である食文化。2025年に開催される関西・大阪万博に向け、大阪・関西は 世界にどのような情報を発信すればいいのか。関西を代表する食通の門上氏に話を聞いた。

ゲスト 門上武司
フードコラムニスト。1952年、大阪府生まれ。関西の食雑誌『あまから手帖』の編集顧問を務めるかたわら、食関係の執筆、編集業務を中心に、プロデューサーとして活動。著書も多数。

人間の生活を豊かにする大事な要素である食文化。2025年に開催される関西・大阪万博に向け、大阪・関西は
世界にどのような情報を発信すればいいのか。関西を代表する食通の門上氏に話を聞いた。

JM hashimoto kadogami.jpg

■「食通」になったきっかけとは
橋下徹(以下、橋下)
 今日のゲストは関西を代表する食通で、雑誌『あまから手帖』の編集顧問も務めるフードコラムニストの門上武司さんです。門上さんとは、僕が政治家になる前にグルメ番組でご一緒させてもらいました。僕も食べるのが大好きなので、今日は食の世界についていろいろとお聞きしたいと思います。門上さんが食に興味を持ったきっかけは何だったんですか?

門上武司(以下、門上)
 両親の影響ですね。北海道出身の父と大阪生まれの母は、毎日市場で買い物をして料理を作ってました。二人とも昔の人なので魚も捌けたし料理が上手だった。父が白ご飯に牛乳をかけて食べて、「関西の牛乳は薄い」とぼやいてたことを覚えてます。

橋下
 昔、「料理の鉄人」で道場六三郎さんが、牛乳とご飯で料理を作るのを見て驚きましたが、門上さんのお父さんは鉄人に先んじてたわけですね。

門上
 かもしれません(笑)。通った北浜の小学校には船場の商人の息子たちがたくさんいて、その子らはお小遣いでよく外食してたんです。僕も彼らと遊ぶうちに小学生で外食の楽しみを覚えました。40円ぐらいでカレーが食べられた時代ですね。近くに三越百貨店があって、和食から洋食から何でもあるレストラン街が遊園地みたいで楽しかった。高校生になると京都の古い喫茶店や大阪の中華屋を巡って、日記に食べた記録を残すようになりました。

橋下
 食の世界に仕事で関わり始めたのはいつごろですか?

門上
 大学生のころに、作詞家のもず唱平先生がつくられたイベント会社で働いたことがきっかけです。東京からゲストが来ると、「大阪は食い倒れの街なんでしょ。美味しいところに連れてってよ」とよく頼まれて、喜んでくれそうな店を案内していました。「今井」といううどん屋は東京と出汁が違って透明なので、連れて行くとみんなびっくりするんです。ほかにも京都、新世界......いろんな店で接待するうちに、東京の芸能関係者から「あそこと仕事すると、関西の美味いものが食える」と評判になったんです。

橋下
 接待係をするうちに店に詳しくなったんですね。

門上
 今と違って情報がまったくない時代ですからね。店のリストを作ったら重宝されました。そのうち「数だけ知っててもあかんな。お店や料理について、どんだけ喋れるかが大事や」と思うようになり、料理の本を読むようになりました。「人は食べ物を一緒に食べると仲良くなれる」という気づきを得たのも大きかったですね。

橋下
 なるほど。

門上
 そのうちマガジンハウスの『ブルータス』で書くようになりました。編集者から「今度大阪特集をやるから、何か面白い話ない?」と聞かれて企画を出すうちに、「食べ物に強い書き手」として知られるようになって、30代で『ポパイ』や『アン・アン』でも関西の飲食店についてコラムを書き始めました。

橋下
 仕事のオファーを受けるなかで自然に今の立場になられたということですね。よく若い人に講演会で「これからどう生きたらいいですか」と聞かれるんです。「計画を立ててもその通り行くわけないんだから、目の前のことを一生懸命やるといいよ。僕もそうやって生きてきたから」と話すので、共感しますね。ちなみに1年間でどれぐらい外食されてるんですか?

門上
 1000回ぐらいですね。基本的に昼と夜はほぼ外食、旅仕事で3食すべてという日もしょっちゅうです。

橋下
 それだけ食べられるのは健康な証拠ですね。会席料理やフレンチのフルコースが、昼も夜も続くときつくありませんか。

門上
 「食べたいものだけ食べてたら、この世界ではプロになれん」と言われてます(笑)。実際、フルコースが昼夜続くこともあるので、最近は健康を考えて1日1万歩は歩いてます。

橋下
 新規のお店の情報はどうやって集めてるんですか?

門上
 酒屋や魚屋から聞きます。ほぼ毎日飲食店に納品してるので、「あそこの2番手が今度独立するらしい」といった情報が早いんです。新規のお店が繁盛したら酒屋も儲かりますから「門上さん、取材してよ」と教えてくれる。魚屋がいい魚を入れている店は、まず間違いないですね。

橋下
 なるほど、勉強になります。インターネットでは探さないんですか。

門上
 店に行った後で評判を調べるのに使ったりはしますが、確認用ですね。知らない街では、自家焙煎とかこだわりのある喫茶店に行きます。そういう店のマスターは街に詳しいので、「今晩この辺で食べられる美味しい店ありませんか」と聞くと、いい店を教えてくれるんです。

橋下
 レストランガイドはいろいろありますが、その中から本当に美味しい店を見つけるコツはありますか?

門上
 例えば記事のうち、4分の3ぐらい味のことを書いていたら、その店は相当美味しいと思います。インテリアやサービスの情報がメインだったら、味はそれなりかもしれません。食べログのレビューも、自分が好きな店に高い評価をつけている人は好みが近いということですから、参考にするといいですね。

橋下
 門上さんのような仕事につきたい若い人に向けてアドバイスはありますか?

門上
 一つのジャンルやメニューを、できるだけ食べることです。洋食屋に行ったらハンバーグ、ピザ屋ならマルゲリータというように必ず食べるメニューを決めるんです。それを続けると、自分の中に評価軸ができてきます。

橋下
 味の基準を持つことが大事ということですね。今はYouTubeでどんどん発信できるから、次世代の門上さんのような若い評論家が出てくれば面白いと思います。

門上
 発信者が増えれば全体の料理評論のレベルも上がっていくので、どんどんやってほしいですね。僕の仕事は「場づくり」だと思ってます。最近はフレンチと和食の料理人が話す機会も増えてますが、昔は業界が完全に分かれていた。魚に塩を打つやり方一つとっても違うから、話せばお互いに参考になり、料理の幅が広がります。そういう料理人、評論家が交流できる場をどんどんつくっていきたいと考えています。

■大阪の美食を万博でどう表現するか
橋下
 2025年に大阪・関西万博が開催されます。世界中からたくさんの人が集まるこのイベントでは、大阪が自慢する「食」を大きく打ち出そうとしていますが、門上さんはどうお考えですか。

門上
 大阪はこれまで他府県に比べて、行政と料理人との距離感が遠い気がするんですね。京都なんかは料理イベントに市長や知事の方が来ることがけっこうあるんです。でも僕自身、大阪で料理に関する催しを何度も企画したのですが、橋下さん含めそこに知事が来られたことは一度もなかった(笑)。

橋下
 すみません、耳が痛い話です(笑)。確かに僕も知事だったときに食のイベントに行ったことはなかった。「食の大阪」と謳っておきながら、京都や奈良に比べて、行政のバックアップが少ないわけですね。

門上
 万博でやるべきことはたくさんあると思うのですが、食に力を入れてくれたら、料理人も奮起する。万博を前に小さくてもいいから、行政と料理人がコラボする場をつくってほしいんです。そういう「小さな掛け算」が大阪のあちこちで起こると、その蓄積は大きなパワーになると思うんですよね。

橋下
 門上さんには僕が知事のときから、大阪の名産物を府が認定する「大阪産(もん)」の選定委員をやってもらっています。それまで大阪の産物には何十種類もブランド名があって、「こんなにたくさんあっても意味がないから、一つに絞ろう」と考え、門上さんたちのアドバイスを聞きながらつくった制度です。今ではいろんな有名店が「大阪産」のステッカーを貼ってくれるようになりました。

門上
 雑誌なんかでも目にするようになりましたよね。

橋下
 「大阪産」のアピールに加えて、和食だけでなくフレンチやイタリアン、中華まで世界中の料理が大阪で楽しめるということを打ち出したいんです。

門上
 仰る通り、大阪の料理といえば一般にお好み焼きなどの「粉もん」というイメージがあります。しかし実は、フレンチや中華で世界レベルの名店が多くあるんです。毎年発表される「世界のベストレストラン50」に選ばれると、世界中の食通がその店を訪れます。そのアジア版に大阪の店も選出されていて、世界に認められた名店があることを、もっと声高に発信していいと思うんです。粉もんから高級フレンチまで、バラエティ豊かな食が楽しめる街は、世界でも大阪以外にないということをもっとアピールすべきだと思いますね。

※「みんなのJAPAN MOVE」を再構成(プレジデント社 PRESIDENTより抜粋)


▼【公式メールマガジン&公式オンラインサロン 】へのご入会はこちらから!プレジデント広告.jpg

prev back next