【対談】織作峰子×川井郁子×橋下徹 2014年4月、市民の力で関西のアートや文化をサポートし、育てていこうと立ち上がった「アーツサポート関西」。 大阪芸術大学で教鞭を執るお二人から、関西・日本のアーティストが世界に羽ばたく方策を聞いた。
ゲスト 織作 峰子
写真家。石川県生まれ。1981年度ミスユニバース日本代表。「BOSTON in the time」など世界の風景や人物の撮影を続けている。
ゲスト 川井郁子
バイオリニスト。香川県生まれ。国内外のオーケストラをはじめ、指揮者チョン・ミョンフンや、テノール歌手ホセ・カレーラスなどとも共演。ジャンルを超えて、ポップスのアーティストや、バレエ・ダンサーなどとも共演。
2014年4月、市民の力で関西のアートや文化をサポートし、育てていこうと立ち上がった「アーツサポート関西」。
大阪芸術大学で教鞭を執るお二人から、関西・日本のアーティストが世界に羽ばたく方策を聞いた。
■どうすれば日本から若き才能が誕生するか
橋下徹(以下、橋下)
今日のゲストは写真家の織作峰子さんとバイオリニストの川井郁子さんです。お二人とも大阪芸術大学の教授を務められていますが、ふだん学生さんにどんな指導をされていますか?
織作峰子(以下、織作)
学生時代からなるべく早く本当の仕事を体験させて、世に出られるようにサポートをしています。先日も全日本空輸の広報の方に学生の撮った写真を見せたら、広報用のポップに採用されました。学生であっても社会で活躍できる才能の持ち主は少なくないので、その才能を見つけて引き上げるのが私たちの仕事だと考えています。
川井郁子(以下、川井)
クラシック業界は東京と大阪でホール、オーケストラの数に差があるので、卒業後に関西でプロになるのはなかなか難しいんです。でも最近、卒業生に関西でのコンサートのアンサンブルを頼んだら、すごく演奏レベルが高くて驚きました。音楽の技術と熱意をあわせ持つ子がたくさんいるので、関西だけでなく東京でも活躍できる道を開いてあげたいと思っています。
橋下
生活を成り立たせるにはお金が必要ですからね。芸術家のモチベーションはお金ではないと思いますが、若い人たちにどんどん芸術の世界で活躍してもらうには、サポートが必要になる。
織作
そのとおりです。お隣の韓国では畳一畳ぐらいの写真が一点3000万円で売買される写真家もいます。日本は海外に比べて写真を買う文化が遅れているんですね。その理由のひとつには日本は高性能のカメラが外国に比べて安く手に入るので、お金に余裕があるハイアマチュアが時間をかければ、プロ並みの写真を撮れるんです。それで大阪芸大の写真学科では将来写真で食べられるように、全員にドローン免許を取得させて航空写真のスキルを習得してもらうようにしました。
川井
バイオリンの世界も昔から演奏だけで食べていける人は本当に一握りです。私が学生のころ、帰りの山手線の中吊りに「東京芸大は失業大学だ」という文言があってショックを受けつつ、「そのとおりだよね......」と友達と笑ったんですが、当時と状況は変わっていません。私が東京芸大に入ったときの学長が入学式で「芸大では練習だけでなく、人脈をつくってください。将来、人とのつながりがあなたを助けます」と挨拶したんです。いまの音楽家は自身のプロデュースができないと生き残れない時代なので、その言葉の意味はすごくわかりますね。
橋下
将来の収入の道まで学生時代から考えておく必要があるわけですね。この国の芸術を活性化させるためにも、行政のサポートが必要だと僕は考えていますが、お二人は政治家時代の僕が「芸術の破壊者」と呼ばれていたことをご存じでしょうか?
織作
はい、聞いておりました(笑)。
橋下
ですよね(笑)。大阪芸術大学は、芸術関係の団体のなかでほぼ唯一、政治家時代の僕を応援してくれたんです。政治的な意味合いではなく、芸術をまっとうな形で広めていきたいという僕のやり方に理解を示してくれて、ありがたかった。川井さんは現在、「アーツサポート関西」の活動に携わっているそうですね。
川井
はい、アーツサポート関西では、若い芸術家のたまごを応援し、発表の場を広げていく活動を行っています。地域や企業と連携しながら、関西で芸術家を目指す人を支援するさまざまな取り組みを進めています。
橋下
今回の対談で川井さんがメンバーであることを初めて知ったのですが、あの団体ができた経緯ってご存じですか?
川井
いえ、詳しくは知りません。
橋下
堺屋太一さんがプロデュースした1970年の大阪万博で、予定より多くの予算が余って、それを活用するためにできた「関西・大阪21世紀協会」という団体が母体なんです。基金を使って関西の芸術家を長い間サポートしていたんですが、僕が知事になってから「いままでの古いやり方じゃなくて、新しい芸術家のサポートの形を考えましょう」と提言したら、協会のメンバーとバチバチに衝突することになって。侃々諤々の議論をずいぶんやりあった結果、アーツサポート関西が生まれたんです。
織作
そうだったんですか。
橋下
だから21世紀協会の方たちは、いまも僕の名前を聞いたらみんな真っ赤になって怒ると思います(笑)。対立した理由は、旧来のやり方に問題があったからなんです。芸術の専門家でも何でもない役人が、補助金や助成金をどの団体に出すか審査していた。芸術家からすれば選考過程が不透明だし、なぜ自分たちが落ちて他の団体に予算がつくのか理解ができない。若い芸術家たちからたくさんの不満の声がありました。
川井
それはそうでしょうね。新しい取り組みであるほど支援が得にくいでしょうし。
橋下
それまで大阪の芸術予算のほとんどは前例踏襲で特定の分野、団体に入っていました。そっちは億単位なのに、新しい分野の芸術活動をしている人たちが100万円の助成金を申請しても、なかなか通らなかったんです。その理不尽さを「一度ガラガラポンして見直そう」と言ったら、「芸術の破壊者」と呼ばれて大騒ぎになりました(笑)。
織作
毎年のように補助がおりていた団体からすれば、それがなくなるかもしれないとなったら一大事ですよね。
橋下
それで僕は補助の仕組みを変えるために、民間主体のアーツサポート関西と、行政主体の大阪アーツカウンシルという団体をつくりました。公務員が審査するんじゃなく、きちんと芸術の知識を持つディレクターが審査する形でサポートする仕組みをつくったんです。その過程で専門家の方たちと「行政がお金を出すことで、芸術に歪みが生じないか」という議論も随分しました。補助金の交付なしには成り立たない芸術というのは、果たして本当に芸術といえるのだろうか、という疑問があったんです。
川井
新しい人々への支援はとても大事だと思います。前例踏襲はみんな納得しやすいですが、それでは芸術に革新がもたらされませんからね。
橋下
最終的に大阪では、ふるさと納税を使って芸術をサポートできる寄附税制の仕組みを構築しました。クラシックや文楽が好きな人は、どうせ税金を払うならそれらの団体に寄附できたほうが嬉しいですよね。寄附を受ける団体側も、より一層支援してもらえるようにパフォーマンスを高めていくし、新しいチャレンジに取り組むモチベーションが生まれます。日本は芸術に対する寄付税制が諸外国に比べて遅れているから、日本全体にこの大阪モデルが広まることを願っています。
織作
新しい取り組みといえば写真の世界でも、伝統的な手法と最新のデジタル技術の融合が注目されています。デジタルカメラに駆逐されてフィルムの写真が使われなくなり、デジタルを教える授業が増えてきましたが、大阪芸大には今も50台の引き伸ばし機と巨大な暗室があって、そこで昔ながらの撮影と現像の手法を教えているんです。写真の原理を知っていれば、現代のデジタル技術も理解しやすくなりますね。最近ではデジタル写真に銀塩写真の技術を応用することがブームにもなっていて、古典的手法とデジタルの知識をバランスよく学ぶことが大切と感じています。
川井
クラシック音楽の世界も同じように融合が進んでいますね。私は和楽器が好きでよく共演しているんですが、楽譜もリズムも西洋音楽とは違うから、以前は音を合わせるのにも苦労したんです。しかし最近の和楽器奏者の多くは邦楽だけでなく西洋音楽にも詳しいので、垣根のないコラボレーションができるようになりました。
■芸術の未来は「コラボ」にあり
橋下
お二人は今後どういう活動をされていこうと考えていますか?
織作
やはり作家にはオリジナリティが必要だと思うので、いままでの写真にない手法を実践しています。伝統工芸である金沢箔を応援したく、純金や純銀、純プラチナ箔に写真をプリントする作品を作りました。
橋下
金箔に写真が載るんですか。
織作
はい、通常の方法では乗らないので、特殊な技法を使っています。出来上がった作品は、外国の要人がよく泊まるホテルのスイートルームの調度品などに使われています。
川井
バイオリンの歴史を振り返ると、タンゴやジプシー音楽など踊りの伴奏で使われたり、人の本能に根ざしたプリミティブなジャンルで使われてきた楽器なんですね。そのバイオリンの幅広い魅力を、本能的な演奏で多くの人に感じてほしい、それが今後目指したい活動です。
橋下
なるほど。
川井
またもう一つ、3年前から私は「音楽舞台」という活動を始めています。役者である演奏家が、セリフとともに楽器を演奏して表現するという舞台です。演奏家が中心になる音楽舞台を、もっと多くの人に届けたいと思っています。
※「みんなのJAPAN MOVE」を再構成(プレジデント社 PRESIDENTより抜粋)