【対談】蝶野正洋×橋下徹 プロレスラーとして人気を集める蝶野正洋。 近年は防災と救急救命の啓発活動に力を注ぎ、AEDの活用や 地域防災の普及に取り組んでいる。活動の原点は、ライバルだった有名プロレスラーたちにあるという──。
ゲスト 蝶野正洋
1963年、アメリカ・シアトル生まれ。84年新日本プロレスに入門。2010年2月に新日本プロレスを離れてフリーに。通称は〝黒のカリスマ〟。近年はAED・救急救命や地域防災のPR活動に取り組み、14年7月には一般社団法人ニューワールドアワーズスポーツ救命協会を設立した。
プロレスラーとして人気を集める蝶野正洋。
近年は防災と救急救命の啓発活動に力を注ぎ、AEDの活用や
地域防災の普及に取り組んでいる。活動の原点は、ライバルだった有名プロレスラーたちにあるという──。
■〝黒のカリスマ〟誕生秘話
橋下徹(以下、橋下)
本日のゲストは新日本プロレスの闘魂三銃士として活躍し、「黒のカリスマ」として人気を集めるプロレスラーの蝶野正洋さんです。近年は防災と救急救命の啓発活動に力を注いでおり、今日はその話をぜひお聞きしたいと思っています。
蝶野正洋(以下、蝶野)
ありがとうございます。最近は世間で「ビンタの人」と思われてるので(笑)、防災の話ができるのは嬉しいです。
橋下
蝶野さんがデビューされたのは1984年ですが、きっかけは何だったんですか?
蝶野
中学・高校はサッカーをやっていたのですが、ちょっとやんちゃでして、いろいろ悪さもしていました(笑)。それで高校卒業後、進路を決めなきゃならないときにテレビでプロレスを見て、「ケンカして金をもらえる商売があるのか」と思ったんですね。
橋下
ははは。実際に入門してみてどうでしたか?
蝶野
「アントニオ猪木さんとすぐ戦うぞ」ぐらいの気持ちで入りましたが、同期に橋本真也選手や武藤敬司選手、先輩にも強い選手が何人もいて、まず彼らとの競争がたいへんでしたね。初めての試合はお互いデビュー戦で武藤選手と戦ったんですが、ものの3分で関節技をきめられて。痛いから「ギブアップ!」と叫んだのに、レフェリーが「まだまだっ!」って試合を止めてくれないんですよ。
橋下
(笑)。ショーとしてもっと続けろと。
蝶野
観客を楽しませるプロの試合ができるまでには数年かかりましたね。若手時代の2年半の海外遠征では欧州、米国、カナダを回りましたが、自分で現地のプロモーターに試合出場を交渉しました。海外では誰にも知られてないから、観客にアピールして人気を得る必要があって、その経験でずいぶん鍛えられました。
橋下
防災や救急救命の啓発活動を行うようになったのは、いつからなんですか?
蝶野
大きなきっかけは、2005年に同期の橋本選手が40歳で亡くなったことです。彼は新日本プロレスから独立して自分の団体をつくっていたんですが、経営が傾いてストレスを抱えていました。自分も当時、新日の取締役の一人だったので経営者の気持ちがわかるんです。亡くなるひと月前に食事をしたとき、橋本選手の団体でクーデターが起こっていて、「リベンジしなきゃリングに戻れない」と話してました。「怪我を治してから復帰を目指せ」と伝えたんですが、その後すぐ亡くなってしまって......。
橋下
そうでしたか。
蝶野
その数年後には新興団体のノアのトップレスラーだった三沢光晴さんもリング上の事故で亡くなったのですが、やはりノアも経営が厳しい状態でした。プロレス団体の経営者は看板レスラーとしてリングに上がりながら営業もやって、後援者などとの食事のつきあいもある。キャリアが20年超えると体はボロボロなんです。みんな治療しながら必死でリングに上がっています。
橋下
お二人には自分をケアする時間がなかった。
蝶野
はい。危ないと思っても、誰も止められませんからね。同世代のレスラーが40代で2人も亡くなったのがショックで、「業界内でルールを作らなきゃいけない」と考えました。それで手始めに「救急救命を習おう」と思ったんです。講習を受け始めたら、東京消防庁の方から「我々の啓発活動を手伝ってくれませんか」とお声掛けいただきました。
橋下
そこから始まったんですね。
蝶野
「日本はAED(自動体外式除細動器)の設置数が世界でもトップレベルなんですが、使える人がまだまだ少ないので、講習の必要性を啓発していきたい」と相談されました。それで自分が客寄せパンダになって、人を集める活動に協力することにしました。
橋下
なるほど、経緯がよくわかりました。体を酷使するプロレスを続けてきて、ご自身でも怖い経験をされたことはありますか?
蝶野
自分ではないですが、政治家になられた馳浩先生が危なかった場面には遭遇しました。25年ぐらい前、博多の試合で馳先生がスープレックスを食らって側頭部を打ち、試合後にシャワーを浴びて控室に戻ってくる途中、心肺停止で倒れちゃったんです。そのときは幸い、現場にいた警察の方が蘇生措置を行って救急車が間に合いました。
橋下
それで、助かったんですね。
蝶野
「頭を打ったから」と何もせず、救急車を待っていたら危なかったですね。現在の救急救命では救急車が到着する前に、できる限りAEDをはじめとした蘇生措置を行うことが期待されています。
橋下
僕もAEDの講習を受けたことがありますが、あれはあらかじめ体験しておかないと、いざというときにできないですね。
蝶野
AEDは電源を入れてシートを胸に張れば、自動的に心臓をチェックしてくれて、電気ショックを与えるかどうかも音声で知らせてくれます。だから一般の人でも十分使えるんです。
橋下
倒れている人がいても遠巻きに見るだけになってしまうのは、もしも関わって何事かあったとき、責任が問われるのが怖いんでしょうね。でも倒れている人が放置される世の中は良くない。地震や津波などに対する防災に関しては、どんな啓発が必要だと思いますか?
蝶野
「他人を助ける前に、自分の命を助けよう」ということです。東日本大震災では250人以上の消防団員が津波に流されて亡くなりました。その多くは、津波警報が出ている地域に残った人を助けようとして犠牲になったんですね。最初の警報が出たときに住民の全員がしっかり避難していれば、そのうちかなりの数の人は助かったはず。東日本大震災のような大規模災害に備えるためには、国民の間にまず「自助」が大切であることを、国が啓発していく必要があると感じてます。
■災害から子どもたちを守るのに必要なこと
橋下
昨年、蝶野さんは『防災減災119』という本も出されましたね。
蝶野
はい、10年から年間30件ほど救急や防災のイベントに参加していたんですが、本というメディアを使えば僕が行けない地域にもその大切さを知ってもらえると考えました。最近はYouTubeに防災減災の専門チャンネルをつくることも計画しています。防災の動画はお堅い内容が多いので、僕がYouTuberになって面白い内容にして、子どもたちにも見てもらえるようにしたいんです。うちにも小・中学生がいますが、今の子どもってテレビを見ませんからね。
橋下
YouTubeはいいですね。子どもに対する防災教育は本当に大切だと思います。子どもたちを含め、市民が防災に関する意識を高めるためには、何が必要ですか。
蝶野
「災害はとても身近で、いつでも起こりうる」と常日頃から考える機会をたくさん持つことでしょうね。日本全国どこでも台風や大雨の被害がありますし、南海トラフ地震の発生も心配されていますから。
橋下
南海トラフは本当に心配ですね。蝶野さんはご存じでしょうけれど、科学的な予測では30年内に70~80%ぐらいの確率で発生すると言われていて、そのことを知らない人もまだまだ多い。大阪も中心部の梅田や難波は、全域が南海トラフで発生する津波被害の想定エリアです。うちの子どもにそれを言ったら「海からあんなに離れてるのに津波が来るの?」ってびっくりしてました。
蝶野
大阪市内のほとんどが被災すると想定されてます。
橋下
自治体では必ず防災の日になると、知事や市長がリーダー役になって訓練を行うんですが、ぜんぶセリフまで書いてあるシナリオが用意されているんです。でも実際起きたらシナリオ通りに進むわけない。それで僕が知事のときに「ブラインド訓練」といって、シナリオなしで訓練を行いました。するとやっぱり想定通りにいかないんです。情報に混乱してオロオロする役人の姿がテレビで放映されましたが、それでいい。問題がわかれば対策を講じられますからね。
蝶野
おっしゃる通りです。
橋下
当初、災害対策本部は大阪府庁のビル8Fに設置する予定でしたが、エレベーターが全部止まってる状況で階段を上り下りするのは無理です。そういうのも、実際にブラインドで訓練してみて改めて気づいたことでしたね。
蝶野
消防団や救急隊をはじめ、「公助」を仕事とする人たちは本当に人々の命のために懸命に仕事をされてますよね。僕なんかはプロレスの世界でも「反体制」というか、「上のやつらをぶっ潰すぞ」とか言ってたほうでしたけど(笑)、救急救命、防災の活動に取り組むようになってから、行政の人たちが懸命に取り組んでいることを初めて知りました。市民の人たちに、そういう国や自治体の取り組みを知ってもらって、いざというときに協力しあえるように促すのも、自分の役目かなと思います。
※「みんなのJAPAN MOVE」を再構成(プレジデント社 PRESIDENTより抜粋)