「なぜ英EU離脱は"失敗"したか...橋下徹「問題は国民投票をやったことではない。事前に離脱のシナリオがなかったことだ」
Question
■プロセスは一見正しいのに問題含みなのは?
前回(2023年5月19日号掲載)はフランスの年金制度改革に着目し、賛否が割れる重大な事案については、投票などで民意を問うプロセスが大切であることを学びました。しかし一方、国民投票で決まったはずのイギリスのEU離脱(ブレクジット)も問題含みです。国民投票という民主的プロセスを経たにもかかわらず、イギリスはどこでつまずいたのでしょうか。
Answer
■国民投票で決めたのに、なぜ難航するか
フランスの年金改革とイギリスのEU離脱は、まさに民主国家における「イシュー」「プロセス」「結果」の在り方を問う際の二大反面教師です。国民に決定権を与えなかったマクロン大統領は「プロセス」の段階でつまずきましたが、一方イギリスの場合は、「プロセス」は一見正しくても、その前段階の「イシュー」提示に問題がありました。
有権者など多くのメンバーに物事の是非を問う場合、事前に必要な情報を開示し、それが実現した際の具体案を提示することは必須条件です。EU離脱に関して言えば、「EU残留のメリット・デメリット」「離脱のメリット・デメリット」「離脱することで生じる膨大な手続き」「離脱する場合、どういう手順で実現していくのか」など離脱した場合のイギリスの具体像、別な言葉で言えば具体的かつ詳細なシナリオ(案)を国民に提示すべきでした。
しかし、当時のキャメロン首相はそれを怠りました。おそらくは「国民はEU残留を望むだろう」という希望的観測が働いたせいでしょう。具体的なシナリオをほとんど示さず、シンプルに離脱にYESかNOかを問うただけだったのです。ふたを開けてみたら投票者の51.9%が離脱に賛成という結果に。キャメロン首相本人も驚いたはずです。僅差と言えば僅差ですが、しかし民意は民意です。いくら首相でも、世界が注目する国民投票の結果を覆すことはできません。
以後もメイ首相、ジョンソン首相、トラス首相、スナク首相と歴代首相はことごとく、ブレクジットが引き起こす経済・社会問題解決に苦慮し続けています。世界有数の金融都市ロンドンは、フランクフルトやパリにその座を脅かされ、人的資源や物流、企業も、より自由度の高いEU市場へと流れていきました。
最大の問題は、票を投じた国民のうち、どれほどの人が離脱後の具体的シナリオを想定していたかということです。投票前には離脱派によるキャンペーンやプロパガンダによって"EU離脱のメリット"が人々の耳目を集めました。歴史的背景や、増える移民への反感もあったでしょう。先入観やイメージで国の未来に票を投じてしまった人々が、今になって「失敗だった」と悔やむ姿は他人事ではありません。
では、イギリスはどう行動すればよかったのか、今回も大阪都構想を例に、ご説明していきましょう。
大阪都構想は、5年ほどかけて住民投票に持ち込みました。もちろん、僕1人だけのアイデアではなく役所のメンバーや専門家など100人超の知見を結集させ、具体的かつ詳細なシナリオを作っていきました。
大阪都構想は大阪市と府を合体するという巨大なM&Aのようなもの。ふわりとしたアイデアや直感的な発想だけでは実現なんて不可能です。高度な知見を持つ専門家と、現場の運営能力を持つ役所の職員たちとの活発な議論や連携、調整力やシミュレーションが必須でした。
そこで僕は次のような順序で実現を目指すことにしました。まず2010年に地域政党の大阪維新の会を結成し、11年の統一地方選挙で大阪府議会、大阪市議会の議席を取りにいきました。その後、僕自身は大阪府知事を辞職して大阪市長選に立ち、大阪府知事には盟友の松井一郎さんが立候補し両名が当選しました。すべては大阪都構想実現のための布陣です。11年の選挙で大阪都構想の大まかな提案を行い、有権者に是非を問う。知事、市長、府議会、市議会において権力を握ってから、役所をフル稼働し具体的なシナリオを作る。そして最後にそのシナリオについて住民投票を行うという段取りでした。
僕が11年に掲げた当初の大阪都構想はふわっとしたアイデアレベルでした。財政制度や新設する特別区の区割り、都庁と特別区役所の人員配置など考えなくてはならない項目は膨大にありました。そこで11年の選挙においては大阪都構想の是非を問うのではなく、そのシナリオ作りをさせてほしいということを訴えて、選挙の勝利後、公約通りに役所組織を挙げて大阪都構想の具体的なシナリオ作りに着手したのです。
■本来は「シナリオ案→投票→実行」の順序で
そうして具体的なシナリオを完成させ、満を持して迎えた15年、その是非を問う住民投票に挑みました。結果は否決という残念なものとなりましたが、しかし、仮に大阪都構想が可決となった場合でも、ブレクジットのように国民投票が終わってから、これが問題だ、あれが問題だと問題が噴出し、どのように離脱していいのかわからないという大混乱には陥ることなく、即座に大阪都構想の実行に移すことができたと確信しています。
それは住民投票を実施する前に、大阪都構想を実現するにあたっての膨大な問題点をすべて洗い出し、その対策をシナリオ案にしっかりと講じていたからです。つまり大阪都構想をスムーズに実行できるシナリオをしっかりと作り上げてから住民投票に臨んだのです。
ここで大事なことは、「シナリオ案→投票→実行」が本来の順序であり、決してその逆ではないということです。ところが、イギリス政府はEU離脱を「投票→シナリオ案」の順で進めてしまった。ゆえに離脱を決めた国民投票後に「では離脱をどのように実行するのか」と具体的なシナリオを考えれば考えるほど、様々な不具合が噴出してしまったのです。
■大阪でも原発の是非を問う住民投票を求める署名運動が起きた
同様の問題は、在沖縄米軍普天間飛行場の辺野古移設問題や脱原発問題などで住民投票を行う際に生じています。かつて大阪でも原発の是非を問う住民投票を求める署名運動が起きましたが、当時大阪市長だった僕は住民投票の求めをことごとく拒否しました。署名運動を行った市民からはもちろん、メディアや識者からも、住民の声を無視するのか! 民主主義を冒涜している!と散々批判されましたよ。でも、住民投票自体を否定したんじゃないんです。投票を行うなら、事前にしっかりとした具体案、つまりシナリオを作るべきなのに、それがないまま、ただ単純にYES、NOを問う住民投票だったので拒否したのです。
シナリオがない場合に、仮に「原発反対・停止」の"民意"が出たとします。それをいきなり実行できるでしょうか? いざ電力が足りなくなった場合、人々は計画停電を許容するのでしょうか? 僕も当時救急病院などの医療機関の状況を調べましたが、非常電源装置を備えている病院はほとんどありませんでした。代替電力案もなく、「脱原発」ムードに流された結果の住民投票の民意で、手術中に亡くなる方が続出......などは絶対に避けなくてはなりません。原発反対・停止をするなら、それを実行するシナリオが必要で、それが作成できてから住民投票にかけるべきなのです。
その意味では、23年4月に「脱原発」を実現したドイツは見事です。あらゆるシナリオ案を描き、歳月をかけて再生可能エネルギー比率を高め、最終的には隣国フランスからの電力輸入も確保しての「脱原発」です。しっかりと脱原発のシナリオを作ったからこそ、それを実行できたわけです。
ただ、ドイツができたから日本でもすぐにできると考えるのは拙速です。「物事(イシュー)の是非を決めるあらゆる決定」には、それを実行するためのシナリオが必要なのであり、シナリオを作ってからその是非を決定すべきなのです。具体的なシナリオなく感情的に是非を決めてしまうとその後大混乱をもたらしてしまうということが、ブレクジットから学ぶべき教訓です。