どんな規則にも反していないはずなのに...橋下徹「岸田首相の長男が首相補佐官をクビになった本当の理由」

Question
■なぜ岸田首相は長男を"処分"したか

 首相公邸での少々不謹慎な「忘年会」写真が週刊誌報道で流出し、世論の批判が高まったことから岸田文雄首相は長男の翔太郎秘書官(当時)を事実上更迭しました。明白な不法行為や規律違反がない中での「処分」です。岸田首相や翔太郎氏の対応ぶりを、橋下さんはどう見ますか。

Answer
■小さな不満の積み重ねに感情面で対処した

 今回の一連の報道は、一般企業にも通じるレピュテーション(風評)リスクというものの難しさを物語っています。
 首相が親族を秘書官に任命すること自体は法律に違反していませんし、前例もあります。世襲を前提にした人事であることは容易に想像できますが、世襲だからといって一律に批判するのもおかしな話です。2世、3世にも優秀な人はいますし、世襲でなくても不祥事を起こす人はいます。そこは出自の如何ではなく、本人の努力や能力で語られるべきだと思います。
 ただ、世襲であればこそ細心の注意も必要で、むしろ一般人よりスタート時点からハードルが高くなることは重々意識すべきでした。
 そもそもレピュテーションリスクの多くは不条理・不合理・不公平なもの。ある人はOKでも別の人だとバッシングされたり、A社はスルーなのにB社は炎上したり。当事者からすれば「なぜ自分だけが」という不公平感を抱きがちですが、よく観察すればそこには世論の「感情」が潜んでいます。
 「ハインリッヒの法則」という定理がありますね。労働災害分野で使われる概念ですが、「1つの重大事故の背景には29の軽微な事故があり、さらにその背後には300の異常(ヒヤリ・ハット)が潜んでいる」というものです。
 この観点で考察すれば、翔太郎氏の言動の数々は、それ単体では「重大事故」ではないものの、軽微の「違和感」、つまりヒヤリ・ハットが積み重ねられた結果として見ることができます。
 翔太郎氏は政治家として2世どころか4世に当たります。今、格差の拡大や貧困などが問題となる日本社会で、翔太郎氏の存在は極めて恵まれた立場として、国民の視線に晒されています。翔太郎氏が能力不足だったとは思いませんが、そうした立場上、「1万努力してようやく1良いところが伝わる」くらいの意識が欲しかったですね。少なくとも「3頑張ったのだから、1くらい認めてくれ」という意識では全然足らなかったということです。
 では、翔太郎氏は何を「頑張る」べきだったのか。まず考えられるのは給料です。もし彼が首相秘書官の給料を満額貰っていたとするなら、安い水準にとどめておくべきだったかもしれません。僕は大阪市長時代に、僕の側近を特別秘書に任命したのですが、その際は彼の給料を役所の年齢給に合わせて引き下げました。通常、特別秘書ともなると待遇もそれなりですが、豊富な経験や人脈から市長をサポートする年配の特別秘書ではなく、民間から来た若者が修業も兼ねて就いているのですから、そこは給料・待遇面で同年代の常識ラインにとどめて然るべきです。
 あるいは、自らの移動手段は事情が許す限り電車かタクシーにする、といったことを日頃から意識していれば、首相の外遊先で「公用車を利用して」「観光のような写真撮影」や「土産購入」などの発想には至らなかったはずです。
 それでもなお、どうしても土産が必要というなら、僕が岸田首相の立場であれば私設秘書に買いに行かせます。あるいはそれ以前に、外遊先から土産を持ち帰らなくてはならない慣例など廃しますけどね。

■潔白を積み重ねても、レピュテーションリスクはゼロにはならない

 細かい話ですが、「1万努力する」とはこういうことです。僕自身、政治家時代は、仮に深夜2時の誰も通らない車道であっても、絶対に青信号になってから横断歩道を渡りました。まあ当たり前のことではあるのですが、このような小さなルールも徹底して守っていたつもりです。経費精算も1円レベルで厳密に行い、奢り・奢られは一切なし。地方の特産物をいただいても、「受け取れないんです」と丁重にお断りしていました。それくらいしてようやく「橋下は金には少々きれいだ」と周囲が認めてくれるのです。
 しかし、そこまで潔白を積み重ねても、レピュテーションリスクはゼロにはなりません。その場合は徹底して、論理的に反論すべきです。だから今回、岸田さんが当初の「処分しない」方針を貫くのであれば、それはそれでアリだったと僕は思いますよ。
 実際、法に触れることをしたわけでもありません。首相公邸は首相の居住空間であるプライベート部分と、来賓を招いたり組閣決定後の記念撮影を行ったりする公の部分に分かれます。たしかに今回、翔太郎氏らは後者の空間で少々"ふざけた"写真を撮り、それ自体は不適切だったかもしれませんが、しかしそれとて「写真撮影をしてはならない」規則は存在しないのです。
 今回こぞって批判している野党の議員たちだって、自分の後援者を引き連れて国会見学を行い、公的な様々な場所で写真撮影も行っているはずです。
 では、なぜ翔太郎氏は炎上したか。これはやはり本人の行為のこれまでの「積み重ね」があったからにほかなりません。取り立てて善人になる必要もありませんが、税金を給料としていただく立場である以上、その行いはマイナス面もプラス面も累積され、喧伝されていくものです。プラス面が大きければ、多少のミスや不手際があっても、積んだ徳に吸収される形で消え去ります。でも、もしマイナス面が累積されていけば、世論の不満は膨らみ切った風船のごとくパンパンになり、ある日、些細な出来事(針)で弾け飛ぶことになるのです。
 今回、岸田さんは早いタイミングで事実上の更迭という手を打ちました。前述のとおり反論しようと思えばできたかもしれない。でも、理屈抜きで火消しに走った。レピュテーションリスクの不条理さを思えば、中途半端に反論するよりも感情面での対応を優先したほうがいいという判断でしょう。それはそれで合理的だと思います。
 企業にもこうしたレピュテーションリスクにさらされる危険は常にあります。そのとき、厳密に論理的に反論するか、反論を封じ感情面の対応を優先するか、あるいは両者の合わせ技を使うか。どれを選ぶかは状況によりますが、いずれにせよ早い段階で対応することが重要です。

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