受験エリートが陥る"正解"主義の罠...橋下徹「フランス国民がマクロン大統領の年金改革案に反発した本当の理由」

Question
■フランス各地で大騒乱! マクロン大統領は何を間違えたか

 従来の「年金支給開始年齢62歳」を「64歳」に引き上げ、「満額受給に必要な保険料拠出期間41年」を「43年」に延長する――。フランス政府が踏み切ったそんな改革に対して、この春、同国各地で大規模なデモや暴動一歩手前の騒乱が発生しました。フランスのマクロン大統領は、リーダーとして何を間違えたのでしょうか。

Answer
■1人のリーダーが"正解"を押し付けるのは健全な民主主義ではない

 マクロン大統領の年金改革案には、僕も賛成です。従来の年金制度は持続可能ではありませんし、労働生産性向上の観点でも必要な判断だったと思います。日本でも現在、年金支給開始年齢は65歳ですが、将来的には70歳へ引き上げることも必要だと僕は考えています。マクロン大統領は"正解"を導き出し、実行したと言えるでしょう。
 ただし、そのやり方がまずかった。いくら正解でも、人々の"納得感"が得られないまま強硬に進めれば、人心は離れます。特にバカンスや定年後の生活を心待ちにしているといわれるフランス国民にとって、年金の受給開始が遅くなり、しかも納付期間は延びるという事態は耐え難いことでしょう。全力で阻止したくなる気持ちもわかります。加えてその決断が、"ザ・エリート大統領"の独断で決められたと感じてしまっては......。
 マクロン大統領は学者と医師を両親に持ち、自らも高級官僚養成コースであるパリ政治学院と国立行政学院(ENA)を卒業した超エリートです。財政監察官から投資銀行家という順調なキャリアを経て、39歳の若さで大統領に当選しました。そんな彼に反発心を抱く国民は少なくありません。
 2018年に軽油・ガソリンなど燃料税の引き上げを発表した際も、反対派による「黄色いベスト運動」がフランス全土に広まりました。日本ではあまり報道されなかった暴動派と鎮圧する警察との激しいぶつかり合いは、さながらフランス革命のようでした。政策決定も、下手をすれば「エリート(貴族)階級」対「一般市民」という革命の構図に発展しがちなフランスでは、だからこそ、決定に至る「プロセス」には、細心の注意を払うべきだったのです。
 ところが今回、マクロン大統領はその真逆を行きました。年金改革法案自体は元老院(上院)を無事通過したものの、国民議会(下院)では支持が得られず膠着状態に。しかし、そこで言葉を尽くして国民に訴え、議会の多数の同意を得るという道を彼は取らず、憲法上の強権発動(憲法49条3項)を強行したのです。法案を議会投票にかけることなく、政府責任で採択できる奥の手を選んでしまった。
 たしかにこの方法は憲法上認められている手段です。この道を選べば時間も短縮でき、無用の(と彼が思ったかどうかは知りませんが)議論も不要です。でも、この選択はすべきではありませんでした。このことで国民は納得するどころか、多くの人の感情を逆なでし、火に油を注ぐ結果となってしまいました。
 現代のリーダーの役割は、自ら正解を選び取ることではありません。皆でより正解に近い答えに到達するためのプロセスを踏んでいくことです。
 これまでも『決断力』(PHP新書)などで再三述べてきていることではありますが、このプロセスを重視する手法は裁判と同じです。政治においても賛否が激しく分かれる議題については、原告・被告役に分かれ、お互いに徹底的に議論をし、その様子を一般公開して、最後に決定するというプロセスを踏むべきなのです。そして政治的な最終決定は投票による決定です。
 マクロン大統領は、今回議会において多数を得ることができなかったのであれば、選挙で勝負に出て、自らの改革案を支えてくれる議員を増やし、最後は議会において賛成多数の議決を得るべきでした。
 なぜ、年金支給開始年齢の引き上げが必要なのか、引き上げない場合は将来何が起きるか、引き上げた場合はフランス社会の未来はどう好転するのか――。各専門家も招聘し、賛成派、反対派に分かれてオープンの場で徹底的に議論する。そのうえで議会による多数決によって、改革案が多数の支持を得れば、反対派もある程度の納得感、諦め感を抱き、首都機能を麻痺させるほどの暴動にはならなかっただろうし、一時的に暴動が起きたとしても収束していくと思います。
 このように政治では時に正解より皆の納得感が大事になるということでは、僕自身が大きく関わった、大阪都構想の例が挙げられます。
 1943年に東京がやったように、大阪府・市を一体化して「都」につくり直す。880万人の大都市に構成し直して、世界の都市間競争に打ち勝つ。これが大阪都構想です。東京も実は43年までは東京府と東京市に分かれていて、喧嘩ばかりしていたんですよね。それが東京都に一本化され、世界の大都市に負けないようになっていった。大阪もそれを目指すというものです。

■住民投票のプロセスを取り入れた理由

 僕が知事の時に提唱し、当時の市長や市役所は猛反対。だから僕は選挙で有権者に訴え市長に転じました。しかし府議会・市議会も猛反対だったので、大阪維新の会という政治グループをつくり、これまた選挙で訴えて府議会議員、市議会議員の多くの仲間を得て、国政政党をつくって大阪都構想を進めるための法律制定も実現しました。約5年にわたり政治的に激烈な死闘を繰り広げながら、15年に大阪都構想の是非を問う住民投票にまでたどりつきましたが......結果は反対派が賛成派を僅差で上回り、大阪都構想は否決。
 実は法律を制定する際には、住民投票を入れ込まないことも可能だったのです。それでもあえて住民投票を入れ込んだ。それも圧倒的に賛成派が多い大阪府全域ではなく、反対派が多い大阪市民のみを対象にした住民投票です。

■僕自身はその結果に納得

 最初から分が悪いことはわかっていました。それでも住民の賛否を二分する一大決定を、リーダーたる僕が自分の"正解"を振りかざし、一方的に決定していたらどうでしょう。おそらく反対派の人々は長年にわたり不満をくすぶらせたままだったでしょう。それではよりよい大阪にはなりません。だからこそ大阪市民による投票というプロセスを入れ込んだのです。
 結果的に僕が正解とみなした大阪都構想は、住民投票で葬り去られましたが、これだけのプロセスを踏んだがゆえに、僕自身はその結果に納得しています。今後大阪市民の意識が変化していけば、将来大阪都が誕生する可能性はまだまだあるとも感じています。
 いかに優秀な人間でも、たった1人の見識や判断には限界があります。僕自身は、マクロン大統領の行動力や果敢な挑戦力を評価しています。リーダーたる者、自らが信じた道を、反対の声が起きるや否や路線変更するようではいけないとも思っています。
 ただし、1人のリーダーがあたかも神のごとく"正解"を国民に示し、強権的に国家運営をするのは、健全な民主国家の姿とは言えません。それでは現在のロシアや北朝鮮と同じです。いわゆる受験勉強の勝ち組エリートは、"正解"をピンポイントで示す能力に長けていますが、それだけではいけません。これからのリーダーは、広く周囲の声を聞き、周囲と協働しながら、メンバーの納得感を醸成していく「プロセス」を重視する姿勢を大切にしなければなりません。

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