【対談】澤芳樹×橋下徹

ゲスト
澤 芳樹 Yoshiki Sawa
1955年、大阪府生まれ。大阪大学医学部卒。1989年ドイツのMax‐Planck研究所に留学。2006年大阪大学心臓血管・呼吸器外科主任教授および未来医療センターのセンター長に就任。心筋細胞シートによる治療法の開発に取り組む。

★ 目覚ましいスピードで進化を遂げる現代医療。特に治療が難しいとされる心臓病の分野で、画期的な治療法に挑戦してきたのが大阪大学の澤教授だ。最新の心臓手術の手法とは──。

sawahashimoto1.jpg

橋下 徹(以下、橋下)
今日は2025年大阪・関西万博に必要不可欠な方である、澤芳樹さんがゲストです。澤さんと前回お会いしたのは、僕が講演会に呼ばれた日本外科学会でしたね。そのとき、会場内で見た「面白い巨塔」というポスターが面白かった。阪大の教授陣が『白い巨塔』の有名な回診風景に扮するパロディで、「阪大も変わったな」と驚きました。

澤 芳樹(以下、澤)
進化する医療の最先端に興味を持ってもらうために、面白いポスターにしました。大阪大学は伝統的に「大阪の本質を守るのは自分たちだ」という意識があるので、つい笑いをとりにいってしまうんですね。

橋下
医学部の教授の任期はどれくらいですか?


だいたい15年です。

橋下
15年ごとに『白い巨塔』で描かれた教授選があるわけですね。あのドラマの主人公、財前五郎のように権力を追求する方はいらっしゃるんでしょうか。


財前のような人はいません(笑)。私は大阪大学第一外科の主任教授なので、よく「財前先生の教室ですね」と言われますが、阪大の教授選はドラマのようにダーティでは全然なく、医療と研究への貢献が評価されるとてもフェアな選挙です。最近は人柄も非常に重視されますね。

橋下
阪大医学部といえば心臓移植が世界的にも有名ですが、日本全国の心臓移植手術のうち、どれくらい大阪大学で行われるんですか?


大阪大学には関連病院が全国で四十数カ所ありまして、そのうち一番大きな国立循環器病研究センターと阪大医学部の2つを合わせると、日本で行われる心臓移植手術の約7割を執刀しています。

橋下
日本の心臓移植手術の7割が吹田市で行われているわけか。すごいなあ。


心臓移植だけでなく、大学だけで年間約1,000件の心臓手術を行っており、関連病院すべてを合わせると8,000件のオペが行われています。日本の心臓手術が年に6万件なので、十数%が阪大系列の病院で執刀されているわけです。一人でも多くの患者を助けるために「阪大のレベルが上がれば、日本の心臓手術全体のレベルが向上する」という気概で取り組んでいます。

■山中教授と開発した"動く"細胞シート

橋下
手術だけでなく澤さんは心臓移植の研究でも有名ですね。どんな研究をされているのでしょうか。


心臓移植は弱った心臓を置き換える手術ですが、本人の心臓の機能を向上させたり、病気の進行を止めるために2000年ごろから再生医療に力を入れています。

橋下
再生医療といえば、山中伸弥さんのiPS細胞が有名ですね。


山中先生が2007年に人間のヒトiPS細胞を発表されたころ、私たちは人の足の筋肉細胞を培養して細胞シートを作り、それを心臓に貼り付けるという手術を始めていました。でも足の筋肉は心筋ではないので、心臓では動かないんですね。

橋下
動かない足の筋肉を心臓につけるのはどんな効果があるんですか。


足の筋肉から出る細胞を修復する因子が、心臓にも有効に働くんです。しかしどうせ筋肉をつけるなら心筋と一緒に拍動をサポートしてほしい。それで山中先生とともに08年ごろから、iPS細胞で心筋の細胞を培養して、拍動するシートを作る共同研究を始めました。

橋下
ちょうど僕が大阪府知事になった年ですね。収録前に澤さんたちが開発したiPS細胞を使った心筋シートが、本物の心臓のように拍動するのを動画で見たときは驚きましたよ。あれは生きてるんですか?


はい、生きています。人の心臓は90年以上も拍動を繰り返しますが、その機能を体外で生理的に再現する方法はなかった。それを私たちが開発したんです。現在は弱った心臓を心筋シートで補強して、蘇らせるチャレンジをしています。iPS細胞は悪性腫瘍化しやすいという弱点があったのですが、それも克服する道が見えてきました。

橋下
心臓に貼るのに、技術的な困難はなかったんですか?


すでに足の筋肉シートで技術を確立しており、患者さんの適応条件もわかっていたのでクリアできました。これから実際の心臓病の患者さんに臨床を行って、近い将来、世界での適用を目指しているところです。今年から厚労省の承認を得るための治験を10例ぐらい重ねて安全性を確認します。3年から5年後には、実臨床で普及していくと思います。

橋下
じゃあ大阪万博の2025年ぐらいに、治療が現実化する可能性があるわけですね。


そのころの承認を目指しています。ちょうど25年大阪・関西万博の話が出ましたが、じつは私前回1970年の大阪万博に出演したんです。

橋下
えっ、本当ですか。


はい、当時ボーイスカウトに入っていて、万博広場に立って観客の前で手旗信号を振りました。

橋下
そうでしたか(笑)。当時の万博はどんな感じでしたか?


パビリオンの建物がどこも奇抜で、近未来を感じましたね。一番覚えているのは「月の石」です。4時間ぐらい並んでやっと見たのですが、正直「ただの石ころやないか」と思ってがっかりしました(笑)。でも、万博で見た携帯電話や電気自動車、動く歩道なんかには驚きましたね。今、僕たちの生活でみんな実現していることを思うと、未来社会を描くのが万博であることを実感します。次の万博でも、50年後、2075年の世の中を提言してほしいですね。

橋下
澤さんは50年後の社会がどんなふうになっているとお考えですか?


確実に多くの人が、100歳まで生きる時代になると思います。心臓疾患は細胞シートによってかなりの人が助かるようになりますし、本庶佑先生が開発に貢献したガンの特効薬、オプジーボなどによって今は治療の難しいガンも治るようになるでしょう。ガンや心臓病などの怖い病気が治ると、本当に100歳時代が到来しますね。

橋下
しかし100歳時代になると、新たな問題も出てきそうです。


おっしゃるとおりです。今医師の間では、将来人々の健康寿命が延びることで、認知症の問題が増大すると言われています。認知症がいつ、なぜ発症し、どんな治療が有効なのか、現在もわかっていません。50年後には、全人口の3人に1人が認知症およびその予備軍になるという予測もあります。

橋下
認知症を治すのは医学的に難しいのでしょうか。


同僚の認知症の専門家も「完治させるのは難しい」と言っています。進行を遅らせる研究とともに、社会の受け入れ体制が重要になると思います。

橋下
そう考えると次の万博において、認知症への対応は重要なテーマになりますね。


まさにそうです。万博というのは「未来の社会実験場」。50年後の社会を見据えて高齢の認知症の方が楽しむとともに、活躍できる場が万博にあったらいいですね。

橋下
そこに日本が誇るテクノロジーを、医療からロボットから全部投入すれば、これまでにないテーマパークになりますし、大阪万博の一つの柱になりそうですね。


万博では吉村洋文知事から、「月の石に代わって、iPSで作った心臓を展示してください」という依頼も受けました。今は平面のシートを拍動させるのに成功していますが、それをどうすれば心臓の形にできるか、研究を進めています。

橋下
しかし澤さんのような、世界で抜きん出る研究をしている人に対して、日本の報奨は少ないと感じませんか。米国の大学では発明や特許によって億万長者になる研究者がたくさんいるのに日本にはほとんどいない。


日本の今の大学が直面する財政的な問題は、80年ごろに米国の大学が経験した困難と同じらしいんです。米国でも国からの運営交付金がどんどん切り詰められ、財政難に陥った。それで彼らは大学のビジネスと、アカデミアのガバナンスを分けたんです。大学スポーツや独自のショッピングモールで儲ける仕組みをつくり、科学の研究でも最先端を走り、優秀な人材が世界中から集まるようになった。それが功を奏して、アメリカのイノベーションは大学を中心に次々生まれています。

橋下
日本の次世代の医師たちも世界トップレベルの技術を持てば、プロスポーツ選手のように、大きな報酬が得られるような改革が必要だと思うんです。そうしないと優秀な才能が入ってきませんからね。


医は「算術」ではなく「仁術」と昔から言われていますが、米国を見ていると医学や科学の世界でも儲けることを悪と見なさず、きちんとビジネスにすることで大きく発展したのは確かですね。大阪はもともと商業の街ですから、「儲けるサイエンス」とは相性がいいはずです。

橋下
儲けることに後ろめたさを覚える日本人は多いですが、そのせいで、技術が伸びるスピードが鈍化しかねない。澤さんたちに続く若い世代は「儲ける」という精神で医学にイノベーションを起こしてもらえたら嬉しいです。今日はありがとうございました。

※「みんなのJAPAN MOVE」を再構成(プレジデント社 PRESIDENTより抜粋)

▼【公式メールマガジン&公式オンラインサロン 】へのご入会はこちらから!プレジデント広告.jpg

back next