「大盛況の大阪・関西万博...なのにあの前市長がしょうもない批判を繰り返すわけ」
Question
■なぜ世論の逆風に負けず「万博は成功」と言い続けたか?
大阪・関西万博がいよいよ開幕しました。事前の報道では批判的な声ばかりでしたが、いざ始まれば大盛況です。直前まで世論の逆風にさらされるのは1970年の大阪万博や2021年の東京五輪と同じ。だから大阪・関西万博も人気を集めるはずだと橋下さんはずっと論じてきましたが、その通りになりました。万博や大阪府・市の行財政改革といった大事業を進める際に、目先の批判に負けず信念を貫くには何を拠り所にするべきですか?
Answer
■客観的な投資効果をもとに「物語」でその意義を語れ
大阪・関西万博、僕も行ってきましたが、本当に感動しました。事前報道では否定的な意見のオンパレード。やれ「参加国が少ない」だの「建設が間に合わない」だの「公式キャラクターのミャクミャクが気持ち悪い」だの。でも、ふたをあけてみたら158もの国と地域が参加し、来場者も大型連休前半時点で200万人を突破しました。それでも一部メディアは負け惜しみのように、「並ばない万博」のはずなのに混雑がひどい、とかダメ出しをしていますけど(笑)。
そもそもテレビに登場する有識者や元政治家は、「専門家」として問題点を指摘することが期待されています。だから「批判してナンボ」。現状を追認したら、存在価値がなくなっちゃいますから。その筆頭が、前兵庫県明石市長の泉房穂さんです。開催前も開催後もずーっと、しょうもない文句ばかり並べています。
今回、改めて大屋根リングに上りましたが、まさに万博のテーマ「多様でありながら、ひとつ」を体感できる圧巻の建造物でした。その上から眺める光景に、僕は鳥肌が立ちましたよ。
大阪・関西万博の言い出しっぺの僕ですが、その僕でも万博招致を言い始めた時点では今の世界の様相は想像できていませんでした。ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルによるガザ攻撃、インドとパキスタンの緊張、米中の貿易摩擦......。まさに今の世界は混沌としています。にもかかわらず、今この瞬間、国境も宗教も政治的立場も超えて、人々が世界中から大阪・夢洲のリング内に集まっているんです。すごいことですよ、これは。
しかも勝敗がつくスポーツ競技とは違い、万博は全員が主役です。イスラエルもパレスチナも、インドもパキスタンも、ウクライナも、皆この会場にパビリオンを出し、万博を盛り上げてくれているのです。
ちなみに1970年の大阪万博では、冷戦下の米ソが宇宙開発を競っていましたが、今回は米中が「月の石」と「月の裏側の砂」の出展で競っています。それに関して僕の周辺の中国人は「50年前と同じ石じゃないか?」とあざ笑い、これまた僕の周辺の米国人は「本当に月から持って帰った砂なのか?」と揶揄していますが、まあ、命をかけずに競うなら大いに結構です。
国が違っても人と人とが顔を突き合わせている限り、お互いに殺し合う憎悪むき出しの深刻な紛争は起きにくいと思います。もちろん今は、デジタル化の副作用で真偽不明の隣国のネガティブ情報がネット上にあふれかえり、かえって対立心が煽られているような状況もありますけど。
1851年の第1回万国博覧会(ロンドン)から2世紀近くが経ちました。当時と比べて移動や通信は容易になって世界は狭くなり、人々の交流は盛んになりました。そんな中で、莫大な費用をかけて人々がリアルに集まる場を用意する意味はあるのか、という議論が起きていたのは事実です。
しかし、国家的な分断が進んでいる今だからこそ、「世界の人々が一つの会場にリアルに集う」ことの意義が再認識されているのだと僕は思います。そしてその場を提供するのが、宗教に寛容で和を尊ぶ日本であることに、僕らはもっと誇りをもつべきです。
もちろん万博の課題はゼロではありませんが、それらは運営しながら改善していけばいいだけのこと。大きなプロジェクトや改革を目指すときは、必ず批判やバッシングが起きるものです。でも、「何のためにこれをするのか」の核の部分さえ揺らがなければ大丈夫。
しかも批判する人は大抵、目先の問題点しか見えていないものです。例えば「木造建築(大屋根リング)に350億円もかけるのは無駄だ!」といった批判もそう。大阪・関西万博は巨額の経済効果を生み出す大事業。その目玉である大屋根リングを建設するのは、出費ではなく「投資」です。
そして大屋根リングは、円形の中に世界からのパビリオンが収まる構造になっており、「多様でありながら、ひとつ」という大阪・関西万博の理念を体現しています。しかも京都の清水寺の舞台と同じ工法で造られた世界最大級の木造建造物であり、そこには日本の匠の技が詰め込まれています。大阪・関西万博の象徴として、まことにふさわしいものじゃないですか。
......というようなことを、批判に対しては堂々と申し述べるべきでした。ところが現実には、大屋根リングの意義について問われた万博担当大臣は「雨よけの機能がある」と答弁してしまいました。たしかに雨よけや日よけも大切ですが、それはサブのサブのサブの機能です。国の責任者が言うべきことは、そこではありません。
■経済効果「6兆円」に対して過大かどうか
物事を率いるリーダーには、人々の心を惹きつける「物語」を語る力が不可欠です。なぜ今、この巨大な木造リングが必要なのか、なぜ今、万博を日本で開催する意味があるのか。そのための支出をどう考えるか。
大阪・関西万博の開催費用は建設費と会場運営費を含めて4000億円弱かかります。先に述べた通り、この支出はただの出費ではなく投資です。本万博の経済効果は標準でも2兆9000億円とされていますが、政府答弁によれば関西以外への波及も含め最大6兆円という試算もあります。これに対する投資として、4000億円弱は過大な投資額ではないでしょう。
ここで前提となる経済効果とは、国や自治体が経済政策を手掛ける際に一般的に使われる計算式で導かれたものです。事後になって経済効果を計測したらその通りにはならないかもしれません。しかし、その計算式を信用しない限り、日本において経済政策を語り実行することができなくなります。
ところが泉さんは、ここでも「計算式自体が信用できない!」と言うんですね。僕は呆れかえりました。曲がりなりにも市長をやっていた人物が発言すべきことじゃないでしょう。国や自治体で使っている計算式を「信用できない」ならば、明石市は何を根拠に経済政策を進めてきたのか。ひょっとして泉さんの勘ですか? 明石市はおむつを配るだけで経済政策はやったことがない?
万博をはじめとする大事業、大改革を進めるに当たって、組織のリーダーは一般的に認められている手法に則って経済効果などの見通しを立てます。そしてそれに適切な投資をする。短期的な視点から「無駄な出費だ!」という批判も受けるでしょう。人間はどうしても目先の損失には敏感ですから、批判を跳ね返すのは大変です。
これに対して、中長期的な視点から「これだけの経済効果が出る」という定量的な見通しを示し、さらに「このような理想を実現する」という物語を語るのが本物のリーダーです。しょうもない文句を並べているだけの人に、リーダーの資格はありません。