「僕が兵庫県の斎藤知事を『失格』と断じるパワハラ以外の中核的な問題点」
Question
■そもそも告発者への「懲戒」は適切だったのか?
兵庫県の斎藤元彦知事が第三者委員会の報告書を受けて自らのパワハラ言動を謝罪しました。一方、告発者を懲戒処分にしたことは「適切だった」と従来の主張を変えていません。そんな斎藤知事を橋下さんは「知事失格」と断じていますが、その真意は?
Answer
■不正抑止のためには「チクリ」の当事者に寛容であれ
自らを告発する文書を誹謗中傷文書と勝手に決めつけて無効と断じ、その告発者を処分してしまう――。いったいどこの国の独裁者ですか。およそ21世紀の開かれた民主国家の政治家がやることではありません。この告発制度の大原則を理解できないなら、知事を続ける資格はないと僕は思います。
改めておさらいをしましょう。今回、斎藤さんが非難された一番の理由は、「パワハラ・おねだり」案件でした。訪問先で高価な土産品をねだり、部下に対し理不尽に厳しく叱責する。その様相をメディアも面白おかしく報じたので、世間の注目はここに集中しましたが、第三者委員会の報告書ではおねだりは認定されず、パワハラも組織のトップとしてはありえないお子ちゃま振る舞いですが、辞職に値するかどうかは微妙なところです。
中核的な問題はそこではありません。本当に深刻なのは、斎藤さんが「内部告発を握りつぶした」ということです。この点こそメディアはきちんと議論し、報道するべきでした。
内部告発を柱とする公益通報者保護制度とは、つまるところ"チクリ制度"にほかなりません。そして自らも悪いことをした者、ないしはそこに近いグレーな者からのチクリを大切に扱う制度なのです。
真面目な優等生はチクリのネタなど持っていません。核心的かつ真実に近いチクリのネタは、それを自らやっているか、そこに近い者が持っているのが常です。こうした告げ口は、一般には褒められた行為ではないですよね。学校でも先生にこっそり告げ口するタイプは仲間から疎まれるでしょう。
しかし、学校組織の健全運営を目指すうえでは、そのような告げ口こそ大切に扱い、その内容を調査して、事実であればそれを正していかなければならないのです。
すでに法制度の世界では、チクリ――すなわち内部告発の有効性を前提としたものが存在します。独占禁止法上の「リニエンシー(課徴金減免)制度」がそれです。
罪を犯しても反省し自ら名乗り出た者の罰を軽くするのが自首ですが、自らの罪を超えて、談合などの社会的害悪に関わった企業が自主的に不正を申告すれば、課徴金を減免されたり、刑事訴追を免れたりするのがリニエンシー制度です。2018年、リニア中央新幹線の建設工事におけるゼネコン各社の談合が明るみに出ましたが、これはそのうちの1社が情報を提供したことから発覚しました。このとき、内部告発者(企業)は談合に参加した他の企業よりも軽い処分で済んでいます。チクった者に寛大な態度で臨むことで、チクリを奨励し、社会的害悪の発生を抑えていこうという思想です。
外からは見えにくい組織におけるパワハラやセクハラ、不正などの事実を、行っている当事者か間近に見聞きした者からチクってもらい、是正するのが内部告発の制度であり、それは極めて有効なのです。その意味において「斎藤さんは公益通報(内部告発)制度の本質的意味を理解していないな」と僕が感じるのは、彼が告発者の人間性を毀損するような発言を繰り返しているからです。「告発は嘘八百」「告発者は服務規律違反をした」「クーデター目的である」......。さらには「告発者のPCを調べたらわいせつ文書が出てきた」とも述べていますが、これらは告発者の人格を貶め、告発には信用性がないと思わせて告発を無効化する戦術です。
そもそも公益通報者保護制度では、「告発者の人間性」と「告発の有効性」は別物として扱うのが大原則。おそらく斎藤さんは「告発者は人間的に問題があるから、その告発も信じるに値しない」と主張したいのかもしれませんが、百歩譲って告発者の"人間性に問題がある"のだとしても、その告発の有効性は変わることがないのです。告発はいったん受け取って、しっかりとその内容を調査し、事実であれば是正し、事実でなければ、事実でないと発表すればいいだけなのです。
先にも述べた通り、内部告発者は組織内で不正に手を染めていたり、間近で不正を見ていたりする場合が多く、完全に潔白かといえばそんなことはないのが一般的です。にもかかわらず、世間では「悪を告発する人=清廉潔白の正義の人」というイメージが先行し、メディアもそのように報じてしまいがちです。
しかし、ヤバい告発ネタを持っている時点で、その人は真っ黒ではないにしろ黒に近いグレーな存在です。自ら不正に手を染めているか、不正の現場に極めて近いところで日々情報に接している可能性が高いといえます。だけど一方で、このまま知らんふりを決め込むことに良心の呵責を感じ、不正の事実を告発した。その点をこそ評価するべきなのです。
■「不正を教えてくれてありがとう」
実例を紹介しましょう。かつて大阪市環境局の職員による遺失物横領問題が発覚しました。河川清掃作業で道頓堀の川底からは多くの遺失物や貴金属が出てきますが、これを職員らが着服していたのです。でも、その中の一人が横領の現場を撮影し、メディアに流しました。問題はその後でした。当時の大阪市長が、内部告発者もろとも全員に重い懲戒処分を科したのです。
当時大阪府知事だった僕は「それは違う」と主張しました。だって不正を暴いた人物が真っ先に罰せられたら、今後は誰も怖くて告発なんてできなくなってしまいますからね。黙って不正を隠しておいたほうがよほど身のためだ、となってしまう。
その後、内部告発した職員が裁判で懲戒免職の無効を訴え、一審判決ではその訴えが認められました。当時、僕は府知事を辞めて大阪市長に就任していたので、その判決については控訴せず、再度大阪市職員として復職してもらいました。
むろん不正に手を染めたので、何らかの処分は必要です。でも懲戒免職はありえない。むしろ「不正を教えてくれてありがとう」と感謝しました。そのメッセージを明確に打ち出して以降、大阪市役所では内部告発が増え、それが大阪市改革の大きな柱になりました。
不正はいずれ暴かれる。権力者も不祥事を起こせばいずれはバレる。そのような認識を組織で広めることが不正の抑止につながります。
このような組織ガバナンスの緊張感を生み出すことこそ、21世紀型のリーダーが行うべきことです。
さて、ここまで見てくればもう、斎藤さんが組織のリーダーとして失格であることがおわかりになるはずです。彼が告発を握りつぶし、告発者の人間性を貶めれば貶めるほど、組織としての自浄作用が機能していないことが露呈してしまいます。でもよく考えれば、斎藤さんこそ、あの告発のおかげで自らの職員とのコミュニケーション不足を自覚でき、兵庫県庁の問題点が是正されたわけで、告発者に感謝しなければならないのです。
組織トップの周囲にはイエスマンが集まりやすい。それゆえ自分たちの過ちを指摘してくれる人はありがたい存在です。感謝しこそすれ、告発を握りつぶすようなことがあってはなりません。そのことを、ぜひ21世紀のビジネスリーダーには理解していただきたいですね。