「大阪都構想」未だ実現せず...それでも僕が、いつ死んでもいいと言える理由

Question
■人生の最期を悔いなく迎える条件とは?

 50代半ばを迎えると「どうやって人生を終えるか」を考える人は多い気がします。橋下さんはかつて「いつ棺桶に入ってもいい」と心境を述べていましたが、悔いを残さずにこの世を去るための条件をどう考えますか?


Answer
■結果ではなく、「やり切ったかどうか」がカギである

 同年代が集まり酒を飲むと、決まって最後はその話になるんです(笑)。人は半世紀も生きてくると、一度立ち止まって「自分の人生はどうだったのか」を決算したくなるんでしょうね。
 ありがたいことに僕は政治家や経営者、芸能人やスポーツ選手など、各界の成功者と呼ばれる方々と会う機会も多いですが、こぞって皆さん、最後は同じことを言われる。

 「人生、最後はカネや地位じゃないんだよね」と。

 「隣の芝生は青く見える」とはよく言ったもので、そういう成功者でも別の分野の成功者は眩しく見えるみたいです。ましてや僕なんかのように、総理大臣をやったわけでもなく国民的スターでもない人間からしたら、莫大な資産を持つ人や、誰もが知る芸能界の大物なんて人生満足してるんだろうなと単純に思ってしまいます。お金の心配なく毎晩豪華な飯を食い、高価なブランド品を身に着け、海外旅行をしまくれるなら不満なんてないだろうなと(笑)。でも案外、本人たちに言わせると、そこまでいいものではないらしい。

 たとえば国民的スターは目立つから外を歩くだけでも気を使うし、いくら大金持ちでも人の倍も生きられるわけはなく、人生は一回こっきり。高級車やブランド品も、一通り体験すればもう十分なのだとか。

 僕自身も20代、30代の頃は仕事の成功を追い求め、結果ばかりを意識していましたが、55歳を過ぎた今は不思議なほど価値観が変わりました。「どう結果を出すか」から、「人生をどう終わるか」に、意識がフォーカスするようになる。人生の最期に「納得いく人生だった」と思えたら万々歳。

 そう思うようになったのは、父の死も大きく影響しています。幼くして両親と別れ、天涯孤独の身で生きてきた父は、高度経済成長期も必死に働き、その後、僕の母と再婚。しかしそこには反抗期真っ盛りの中学生の僕が待っていました(笑)。総じて順風満帆とは言い切れない人生だったはずだけれど、それでも晩年は10人の孫に囲まれて幸せそうでした。

 そして人生の最期、父は呼吸器をつけながらこう言って旅立ちました。

 「わしの人生、本当に満足やった。ありがとう」

 なんと見事な人生! 僕もかくありたいと素直に思いましたね。
 生きていれば誰しも「あの時こうしていれば......」と悔やむ瞬間はあるでしょう。「もし違う人生だったら」と夢見たことも一度や二度ではないかもしれません。でも、そんな逡巡も不安も含め、「自分の人生、力を出し切った」と最期に思えれば上々です。

 ちなみに僕は、明日棺桶に入ることになっても「満足した人生だった」と言える自信があります。もっとも妻からは「まだ早い!」と怒られるでしょうが......(笑)。

 そう言い切れる理由は一つ。これまでの人生で、思いっ切り全力を出し切ったから。
 
 2015年、46歳の時でした。「大阪都構想」の是非を問う住民投票に僕は政治家人生のすべてをかけました。大阪府と大阪市を一体にする大プロジェクトは、一政治家や専門家たちが叫ぶだけでは実現できません。だから実際の行動として打てる手はすべて打ちました。

 大阪都構想という一大政策を実現するために、地域政党の大阪維新の会をつくり、法律改正も必要だから国政政党もつくり、都構想実現のための法律(大都市地域特別区設置法)を成立させた。住民説明会に街頭演説、公開討論も重ね、それでも住民投票を実施するためには議会の過半数が必要なのにわずかに足りず、土壇場まで追い込まれました。しかし最後は公明党とのギリギリの政治攻防を乗り越え、無事、大阪市民による住民投票実施にこぎつけることができたのです。

 迎えた住民投票本番は投票率66%超えという関心の高さ。惜しくも僅差で負けてしまいましたが、できることはすべてやった結果です。多くの市民が真剣に議論して票を投じてくれたことも嬉しかった。否決されたことが悔しくなかったと言えば嘘になるけれど、僕自身に後悔はありません。

 




■ひたすら家庭を大切にする生き方もよし

 今でも「もう一度、政治の世界で戦うつもりはないですか?」と聞かれることがありますが、もう十分(笑)。人生、長いようで短い。心身ともにエネルギーが満ち、全力をかけられる期間も限られています。40 代で出せた馬力も、50代、60代となれば衰えてくるのが自然です。

 もちろん大阪都構想は必要だと今も信じているから、僕のバトンを受け継いでくれた吉村洋文さんのことは大いに応援しています。でも、僕自身がいつまでもレーンで走り続けることはない。どんな世界でも、バトンは後進に受け継がれていくものです。

 だから不思議なんですよ。高齢になっても政治家や社長の椅子に座り続ける人って、何を考えているんでしょうか。まだ全力を出し尽くしていないのか、それとも単に、その椅子の座り心地がよいだけなのか......。たとえ負け戦でも、がむしゃらに戦った経験があれば、「まだまだこれから!」と居座ることはないはずです。

 もし今、これを読んでいるのが若い人ならば、ぜひ失敗を恐れず挑戦してほしい。みっともなくても、ぶざまでもいいじゃないですか。いざというときのために体力を温存し続けて、気づいたら「人生最期の時を迎えていた......」なんてことにならないように、できる限りの力を尽くしてほしい。

 もちろん人生には停滞期もあるでしょう。ウダウダ悩んで、閉じこもってしまう時間も、一概に無駄とは言い切れません。でも、人生が一回こっきりというのも万人に与えられたルール。そこはぜひ、与えられた人生を大いに味わってほしいですね。

 若い頃は、他人の評価が自分の指標になりがちです。偏差値、資格、肩書、報酬......。それらを追い求めるのも、大いに結構。だけど、覚えておいてほしいのは、人生の最期に自分の価値を決めるのは自分自身だということ。

 仕事人間で社長や役員に出世する人もいれば、自分の才覚で有名になったり大金を稼いだりする人もいる。ひたすら家庭を大切にし続け、たくさんの孫に囲まれて余生を送る人もいる。

 そこに人生の優劣なんてないんです。あるのは「生き方」の違いだけ。息を引き取るその瞬間、「ああ、いい人生だった」と笑えたら、それこそ人生最大の成功なんじゃないでしょうか。

back next