なぜ日本では国の代表者が公式参拝できないか? 橋下徹「『靖国問題』が最高のケーススタディーである理由」
Question
■海外では「当たり前」のことをどう実現するか
戦没兵士の慰霊施設に国の代表が参拝する、という当たり前のことが日本では事実上できなくなっています。安倍晋三首相でさえ在職中1回しか靖国神社に公式参拝できませんでした。現実的な解決策はどこにあるでしょう?
Answer
■これが戦争指導者「分祀」問題の打開策
僕は靖国神社公式参拝問題こそ、問題解決プロセスを学ぶ最高のケーススタディーだと思っています。どういうことか説明しましょう。
自民党の高市早苗さんをはじめ保守派の国会議員やコメンテーターは「首相は中国・韓国の反発などは無視してとにかく靖国神社を公式参拝すべし!」と勇ましいですが、そうした方々からはまず具体的な解決策は聞こえてきません。僕はこうした「イケイケ(行け行け)派」は、現実的な問題解決ができずに先送りをしているだけの「先送り派」なんじゃないかと疑っています。
複雑な問題解決には、次の2つのステップを踏むことが必要不可欠です。
①明確なゴールを設定する
②ゴールに向けて具体的対策を講じる
イケイケ派は言葉だけは勇ましいものの、①のゴールも②の具体的対策も提示しない時点で、単に面倒な問題を先送りしているだけと言えるのです。
ちなみに「靖国参拝でなく千鳥ヶ淵戦没者墓苑参拝でいいのでは」という意見も聞きますが、こちらは海外戦場で亡くなられた方のうち、身元不明や引き取り手のいない遺骨を安置する施設で、靖国に祀られることを国家に約束された戦没兵士たちに、次代の国民が尊崇の念を表する本来の趣旨とは異なります。
また「首相が私人として参拝すればいい」という意見も、問題の本質から逃げています。なぜなら兵士たちは皆、国の指導者の命で戦地に赴き、そして「死んだら靖国で会おう」の合言葉で命を散らしたのです。ところがいざ死んだら、国家・国民の代表者である首相からそっぽを向かれる......こんな悲しいことがありますか。それでは大きな約束違えです。
靖国神社のような施設には国のリーダーがしっかり公的に赴き、彼らに手を合わせ、「ありがとうございました」と首を垂れることにこそ意味があるのです。これは世界の常識です。
では、その常識が日本では通用しなくなったのはなぜなのか。1978年にA級戦犯が合祀されたことが一つのきっかけです。
戊辰戦争以来の軍人・軍属の慰霊施設だった靖国神社に、東京裁判で戦犯とされた戦争指導者たちが共に祀られるようになり、「靖国参拝」の意味は質的に大きく変わりました。その後の85年に中曽根康弘首相が公式参拝をしましたが、中国からの激しい批判を受けて以降、参拝は見送られ、天皇陛下のご参拝もなくなりました。
数少ない例外は小泉純一郎首相と安倍晋三首相だけ。しかも靖国参拝に強い思いを抱いていた安倍さんですら、2013年に1度公式参拝して以降は首相としての公式参拝は二度と行いませんでした。
一政治家としての思いと、首相としての言動の重みは雲泥の差です。一議員が私的に参拝しようが、ツアーを組んで靖国詣でをしようが勝手ですが、首相ともなれば一挙手一投足が政治的に大きな意味を持ちます。それをわかっていない人間に限って、安易に「公式参拝」を口にする。巨大組織を率いた経験がない証拠です。
「中国や韓国の反応なんて関係ない」と息巻く声も、僕は違うと思います。日中戦争や戦前の植民地支配を通じて、日本が中国人民に多大な犠牲を与え、韓国の人々の自尊心を傷つけたことは紛れもない事実であり、彼らの声に耳を傾けるのは必要なことでしょう。また、周辺諸国との関係が悪化すれば、現実に様々な弊害が生じます。特に、アメリカとの関係にひびが入ることをイケイケ派は考えていません。安倍さんが公式参拝を一度だけにとどめたのも、あまりにも悪影響が大きかったため、それを避けるようにしたからです。
となれば、やはり解決策は戦争指導者の「分祀」しかないでしょう。靖国に祀られている一般兵士と戦争指導者を分け、首相や天皇陛下が参拝するのはあくまで一般兵士に対してであることを国内外に示すのです。
現状、それができないとされる理由は2つあります。①「神道神学上の論理」と②「憲法上の問題」です。宗教法人である靖国神社は「一度合祀した霊は分けることができない」と分祀に反対しています。一度混ぜてしまった水は分離できないのと同様、一度合祀した霊は分祀できないという理屈です。しかしこれは神道神学における解釈であり、そのまま神道を信じていない外国人に説明して納得してもらえるかというと難しいでしょう。神道神学の解釈と政治的な態度振る舞いは別物で、政治的態度・振る舞いは神道神学に縛られる必要はありません。神道とは別に、政治的な「分祀」というものをやればいいのです。
では、仮に神道神学上の論理を乗り越え、国主導で分祀に踏み切る場合はどうでしょう。次に立ちふさがるのが、政教分離の原則に反するという「憲法上の問題」です。
もともと靖国神社は国家の管理下にありましたが、軍国主義の根幹とみなされた国家神道を解体すべく、戦後GHQにより民間の宗教法人になりました。また日本国憲法では政教分離の原則が採用されたので、政府は靖国神社の方針に口出しができない建て前になりました。GHQは、日本の国家が二度と靖国神社と結びつくことがないようにしたのです。
ただし打開策はあります。憲法改正、あるいは高度な政治判断です。仮に憲法改正という高いハードルを避け、高度な政治判断によって国が靖国神社に分祀を働きかけたらどうでしょう。それは憲法上の政教分離の原則には反するかもしれません。しかし、訴訟となった場合、裁判所は判決を下さない可能性もあります。極めて高度な政治判断ゆえ、司法の審査が及ばないとする考え(統治行為論)が働くかもしれないからです。
■「戦争指導者と日本の一般国民とを分けて考えよう」
参考になる事例があります。1972年の日中国交正常化にあたり中国の周恩来首相が掲げた「戦争責任区分論」、いわゆる「二分論」です。自国民に向けて「悪いのは日本の戦争指導者だ。戦争指導者と日本の一般国民とを分けて考えよう」と訴え、日本への賠償請求権を放棄したのです。中国国内にも日本のイケイケ派と同じような面々は山ほどいたでしょうが、その声に右往左往しない見事な解決策でした。
周辺諸国との関係を考えると、日韓関係は今、韓国の尹錫悦大統領のもとで改善に向け大きく動き出しています。日本との関係改善は韓国国内では「譲歩」と映るので、これまたイケイケ派から反発が起きるのは必至です。しかし尹大統領は自らの政治生命を賭して、未来志向の関係構築に乗り出しているのです。その機運を、首相の靖国公式参拝の強行といった日本側の一方的な自己満足だけで潰すようなことになれば、日本全体の安全保障を害することになります。
日本の政治家たちは「防衛費増大」を声高に叫びますが、いくら予算を組み武器を増強しても、肝心の自衛官たちが危険な現場に従事してくれなければ「国防」は実現しません。国のリーダーが国を挙げて、国のために命を捧げてくださった方々に尊崇の念を表する。併せて国民も感謝と敬意と尊敬の念で報いる。それが欠けている国で、いったい誰が国防に命を賭すでしょうか。イケイケ派のように掛け声だけで靖国参拝を叫ぶのではなく、一刻も早く、首相と陛下が神社に参拝する環境を整える大改革を実行しなくてはならないのです。