「落下傘リーダーが出してはいけない最悪のメッセージ」

Question
■増える「公募」人材、成否を分けるのは?

 公立校の校長などを公募するケースが全国的に増えています。こうした「落下傘リーダー」は必ずしも成功事例ばかりとは限りません。成功と失敗を分ける要因は何でしょうか。自治体におけるリーダー公募の先駆者である橋下さんの考えを教えてください。

Answer
■大事なのは価値観の混ざり合い

 公的組織に限りませんが、組織の生え抜き人材ばかりの職場では、どうしても独自の風土や価値観に縛られがちです。適度に外部から人材を入れ、価値観をシャッフルすることの意義や重要性は、今後も僕は強調したいですね。
 ただし、これを実践した経験者から言うと、実に大変な作業です(笑)。言うは易し、行うは難し。成功例も多いが、"失敗例"も少なくない。それでも、やはりやらなくてはならないというのが僕の結論です。そうでなくては、日本の至るところで頻発している目詰まりは解消しませんから。
 特に政治行政分野には、外部人材の登用が必須です。霞が関の中央省庁も、地方自治体も同じで、民間の常識が通じません。政治家や役所組織では民間企業では考えられないような"常識"や"慣例"がまかり通って、しかも皆それに疑問を抱かない。 
 例えば政治家に対する感覚もそう。政治家だって本来、1つの職業です。偉くもなんともないはずなのに、なぜか「偉い立場」だと本人も役所職員も周囲も錯覚してしまっている。もちろん全員とは言いませんが、驚くほど横柄な態度をとる政治家も多いです。たしかに政治家には権限があります。官僚からすれば、議員に「うん」と言ってもらわなくては物事は先に進まないし、各種業界団体からすれば、予算や補助金を回してもらうために、やむなく政治家に頼むこともあるでしょう。
 だけど、悪しき慣例や政治家が偉そうに振る舞うことによる弊害が大きすぎます。本来、極めて優秀なはずの官僚たちが、組織のルールや慣例、政治家への過度な配慮に縛られて、本来の仕事ができなくなってしまっています。能力が発揮できなければ、疲れ果てるか、意欲ある若者は他の分野での活躍を志して離れていきますよ。
 やはり、どこかのタイミングで、「公的機関の常識は、世間の非常識」と誰かが伝える必要があります。そしてそれができるのは、外の世界を知っている外部人材しかいません。
 働き方も、公的機関と民間企業では大きく違います。民間では成果を出し売り上げを伸ばさなくては給料やボーナスに響き、最悪の場合は倒産しかねませんが、公的機関に倒産はありません。不景気だろうと、ミスをしようと、クビや給与カットもまずない。
 ただし、です。外部人材を招く場合は、「その組織(例えば役所)のやり方がダメで、人材もいないから、外部から人を連れてくる」と受け取られるメッセージをトップや経営陣が出してはいけない、ということも強調しておきます。これは僕自身の失敗点、反省点を踏まえたうえでのアドバイスです。
 今思うと、僕は外部人材を公募する際に上記の点を強調しすぎ、役所職員の多くに誤解を与えてしまったようです。そのようなメッセージが出されれば、外部人材側は組織内部の人材を見下しますし、内部の人は外部から来た人を敵と認識してしまいます。
 当然、組織のパフォーマンスは上がらないし、下手をすると組織の内部闘争に発展しかねません。闘争の果てに、外部人材が退場させられることもあるのです。実際、当時の大阪ではそのような「退場」の例が相次いでしまいました。
 当然ですが、外部人材登用の目的は内部闘争を引き起こすことではありません。最大の目的は「多様な価値観の混ざり合い」です。どんな組織や業界でも、価値観と価値観のぶつかり合い、そのうえでの融合がイノベーションを生むからです。
 その点ではファーストリテイリングや楽天といった、英語を社内公用語化した企業に学ぶべきところが多いと思います。これらの企業では、英語が母国語であったり外国生まれであったりするメンバーが、日本生まれの日本語話者のメンバーと混ざり合い、多様で闊達な雰囲気を醸し出しています。新しい発想は、そうした中から出てくるのではないでしょうか。

■「あらゆる意見が出尽くす場」裁判

 大事なのは価値観の混ざり合いであって「ぶつかり合い」で終わってはいけません。それには相手へのリスペクト(敬意)が不可欠です。議論とは「異なる意見の交換」であり、「相手の人格否定」ではないからです。残念ながらそこを勘違いしている人が少なくありません。僕自身も民間出身の外部人材として8年間にわたり大阪の改革を推し進め、その過程では相当無茶をやったように見えていたかもしれません。ただ、役所の職員や関係者に対しては、激論になったとしても常にリスペクトは忘れなかったつもりです。
 もちろん僕の改革方針、やり方に全員が好感情を持っていたとは思いません。内心反対の人も多くいたでしょう。でも、最終的に決まったことに対しては、皆力を尽くして協力してくれました。なぜなら、議論をし尽くした結果には、納得感があるからです。
 そういう僕の議論の仕方は、裁判からヒントを得ています。裁判とは、まさに「あらゆる意見が出尽くす場」。原告や被告、検察官や被告人、弁護士・弁護人といった人たちが時に正反対のことを言い合い、しかし最終的に裁判官が下した判決には、皆が従います。それは「公正な手続き」を経て「皆の言い分を出し尽くし」、「熟慮」に熟慮を重ねた結果には、納得感があるからです。
 民事事件の多くは裁判ではなく示談で解決しますが、示談交渉でも裁判と同様、相手へのリスペクトが欠かせません。罵詈雑言、侮辱の嵐では、交渉が成り立つはずはないですよね。そこが議論のできる人と、議論ができずに罵り合い、人間関係を終了させてしまう人との違いでしょう。
 人が集まる場で、それぞれの人の見解が異なるのは当たり前。それをどうやって、よい議論に発展させられるか。そこに組織リーダーとしての実力、品格が表れると思います。



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